2012年5月4日金曜日

戦国七雄の順位。 私見では、 一位 秦。 中国を統一したのだから、文句無し。 ...

戦国七雄の順位。

私見では、

一位 秦。

中国を統一したのだから、文句無し。

二位、趙。


胡服騎射を取り入れて、長平の戦いで、大敗しなければ、秦に匹敵する戦力を持っていた。

三位、斉。

四位、楚。

この二国は、微妙だけど、斉の方が、秦から遠い分、直接圧力を受けなかった。春秋時代は、楚の方が強かった。

五位、魏。

戦国時代初期では、最強だった。四方を敵国に囲まれ、成長の余地が無かった。

六位、燕。

辺境にあり、土地は痩せ、人口も少なかった。

七位、韓。

どの文献を見ても、七国最弱と書いてある。







1秦 (? - 紀元前206年)

黄河上流、函谷関の西の未開の地。考公のとき、商君を用いて大改革を行い、その後他国から「虎狼の国」として富強を恐れられた。中央集権国家となった秦は張儀の連横策を国是とし、勢力を拡大し、ついにに政(後の始皇帝)が六国を征し天下統一を果たす。事実上の七雄の覇者。

2斉(紀元前386年 - 紀元前221年)

周の文王に認められた呂尚(太公望の名)を始祖とする。場所は黄河の下流、現在の山東省。紀元前11世紀以来その子孫が君臨していたが、前379年に重臣の田氏が奪って王となった。 田氏が奪ってからは田氏斉とも呼ばれた。春秋時代(特に桓公の時代)は中原の覇者として君臨していたが、戦国時代に至っては秦に圧倒されていた。前4世紀後半には百家争鳴の中心地となる。春秋中期は賑わいを見せていたが、前221年、秦に滅ぼされる。

3燕(紀元前1100年ごろ - 紀元前222年)

易水の北、最北の地にあって、北方の勇猛な未開民族と南の強国に挟まれながら八百年にわたって存在し続けた。刺客・荊軻の故事は有名だが、地理的条件もあって戦国七雄の中ではもっとも地味な国。楽毅の活躍で一時期勢力を拡大させるが、楽毅亡き後はやはりダメだった。

4楚 (? - 紀元前223年)

揚子江流域、大陸の南方に位置する楚は、当時はまだ蛮夷の地だった。悼王の時代(前401~381)たまたま魏から亡命してきた呉起(呉子の著者)を登用して内政改革に乗り出す。しかし悼王の死後、封建領主の巻き返しによって改革は挫折し、中央集権に失敗した楚は、 広大な国土を持ちながら国としてのまとまりに欠け、ついには秦に統一を許すことになる。崩壊後の楚漢戦争の時の方が、項羽の出身国として有名。

5趙 (紀元前403年 - 紀元前228年)

黄河中流から太行山脈にかけて栄えていた晋が衰え、趙,魏,韓の3氏族がこれを分割した。趙は河北省南部から山西省北部を閉め、紀元前403年、諸侯としての地位を確立した。戦国時代中期には一時勢力をふるったが、前228年ついに秦に滅ぼされる。廉頗&藺相如の刎頸コンビでも知られる。

6魏 (紀元前403年 - 紀元前225年)

戦国初期、他国に先駆けて国内改革に着手し、当時最強の国にのし上がった。当初、安邑に都があったが、紀元前361年に大梁に遷都してからは梁とも呼ばれるようになった。中原は文化が開けていたが、反面戦乱に巻き込まれることも少なくなかった。

斉に大敗した「馬陵の戦い」で決定的な打撃を受ける。商君の率いる秦軍にも破れボロボロとなり、ついに秦に併合され滅ぶ。

7韓 (紀元前403年 - 紀元前230年)

中原の中心、つまり七雄の中心にあるため逆に強くなれなかった国。強国に囲まれていたため外交に腐心し、そのため内政をおろそかにしてしまったのである。魏,趙とともに晋を三分して独立し、紀元前403年諸侯として認められる。七雄の中では国土も狭く国力もふるわなかった。地政的にまともに秦の圧力を受けたので、前230年にまっさきに滅ぼされた。

最終的には秦によって他の六国は滅ぼされる事となり、秦以外で生き残ったのは、戦国七雄には含まれない小国・衛だけであった。








一位、秦 文句なしの一位です。商君の改革で強大国になり、221年には全国を統一した。

二位、楚 実は意外に強国。呉起があのまま生きていれば、全国を統一できたかもしれない。

三位、趙 蘭相如と廉頗、趙奢などがいて、本来強国であったが、長平の戦いに敗れて

しだいに力を失っていった。

三位、 斉 湣王のときに一番勢力を握っていた。しかし燕にボッコボコにされ、それ以後は生けるしかばねのような状態。

四位、魏 初期の頃は最も力が強かった。呉起がいたころは確実にもうすごかった。

また、信陵君も兵法にも政治にもすぐれていた。

四位、 燕 小国であったが、楽毅がいたころは斉をフルボッコにした。

しかし斉の城を奪い返され、それから力がなくなった。

五位、韓 何これというほどの小国である。もう秦の属国みたいな存在だ。申不害がいきていたころが最も栄えていたころだ。

他にも韓非がいるが、「韓非子」は韓では用いられずに、秦で用いられて、韓が滅びる要因になった。

また、鄭国の工事も秦を豊かにするだけだった。

韓滅亡後に劉邦の軍師として活躍した張良は、韓の出身である。







私は質問者さんの七雄ランキングに賛成しますが、個人的にはスター(?)の多い趙が好きですね(燕は楽毅さんの「一人勝ち」っぽい印象があるなあ…)。

そういえば韓でスター(??)と呼べるのは韓非子くらいですね(失礼ですね、私(^ ^;))。







私の場合、



秦・文句なし

楚・国土の広さと豊かさと人口の多さ

斉・秦から遠かったけど、名将・楽毅にボコボコにやられたダメージが残ってた

燕・一時は斉を滅亡寸前に追い込んだ

趙・秦にめたくそにやられたものの、尚武の国で戦争は強い

魏・同じく秦にボコられまくり

韓・もう秦の属国みたいなもの



てな順位をつけますね。



実は、これは高校の時、先生に教わったんですよ。

西の秦から南の楚、東の斉、北の燕ときて南西の三晋に至る。

つまり、国の位置が時計の針の逆回りなんです。

おまけに、妙に語呂がよくて覚えやすい。

しん・そ・せい・えん・ちょう・ぎ・かん

しんそせいえんちょうぎかん

当時はテストの時、これで助かりましたし、

今でもはっきり覚えてるぐらいです。



で、実力も大体この順番で合ってるじゃん、って感じ(笑)。

少なくとも秦がトップで韓が最下位なのは確定だし。

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